雫石町の御明神地区上和野にはかつて炭鉱があった。
名称は「金龍山炭礦」といい、昭和27年発行の旧版地形図「雫石」には、採礦地の記号が記されている。
岩手県内でかつて石炭が採掘された主な場所は、久慈市を中心とした久慈炭田と岩泉町小川地内の門炭田、そして雫石町の御明神炭田の3炭田と言われており、金龍山炭礦はこの御明神炭田に属する。
金龍山炭礦の夾炭層は新第三紀の中新統の地質に属している。
炭層の厚さは不定だが、0.2~1.5m程度で膨縮が著しく、両端は断層によって裁たれている。
炭質は黒褐色にやや光沢を帯びる褐炭で、発熱量は4,500~4,800calで、夾雑物が割に少く炭質は良好と言われた。
発見は明治初期と言われ、明治10年10月30日に試掘許可がされるものの詳細は不明であり、雫石町史によれば、当時は「和野山炭鉱」と称し県営で開発され、採掘された石炭を搬出するため、雫石川の河川改修工事が行なわれたと言い、それだけ期待も大きかったに違いない。
しかし、本格的に操業されたのは、地元、御明神村大字上野の金龍山炭礦株式会社(社長:清水筧水)が昭和18年に神田三之助から買収してからで、戦時中から戦後にかけて一時隆盛を極め、雇用も増やして長屋を建てて盛んに掘削し、採掘された石炭は、毎日、自家用トラック三台で雫石駅まで運搬し、東北パルプ石巻工場に出荷された。
とはいえ、採炭方法は残柱式手堀で、積込も手積によるもので、あくまで零細鉱山の域は脱しなかった。
ちなみに、蒸気機関車や東北パルプの機械の動力燃料としては4,000カロリー以上必要だったとのことで、鉱脈の探索はこの条件をクリアする必要があった。
そのため、社長夫人が上和野観音堂に祈願し、優良な鉱脈が発見された際には、お礼として鰐口と並べて鈴を奉納したそうだ。
実際、上和野馬頭観世音堂の別当氏に確認したところ、鰐口は当時奉納されたものが現在も使われており、鈴については今あるのは別のもので、奉納されたという話は初めて聞いたとのことだが、社長夫人の清水絹恵さんは大変信心深い方だったことは確かだとのことである。
鉱脈の探索はツルハシで行い、黒ダイヤ(良質な石炭)を発見すると、工夫は万歳し抱き合って喜んだと当時の職員が手記に記している。
坑道は本坑、新坑が主要坑道で昭和24、5年頃には月産1,500t位の生産を上げた。
選炭方法は、それまで主として坑内外手選に主力を置き、切込状態のまま送炭していたものを、この頃より樋流水選を実施し、保証品位(10級4,800カロリー)の確保を図ったものの、水利の便が悪く、結果は良好とならなかった。
一方で、送炭条件は良く、山元の貯炭場が比較的完備され、雫石駅まで5kmの距離を自家用トラック3台で運搬し、山元と駅頭合わせて2か月分出炭を貯炭することができた。
しかし、昭和27年(1953)の朝鮮戦争の休戦によって状況は一変する。
朝鮮戦争による特需は、太平洋戦争からの日本の復興を経済面で支えていた。
その朝鮮戦争の休戦によって、日本経済は安定・停滞期へと移行し、そのことが当時のエネルギー全体に占めるウエイトが大きかった国内炭の炭価高の問題をさらに際立出せることとなり、石炭鉱業は深刻な不況に陥った。
そこで、国は、昭和30年8月に「石炭鉱業合理化臨時措置法」を制定し、石炭鉱業の合理化を図った。
同法に基づく主要な施策は、1非能率炭鉱の発生を防止するための坑口開設の制限、2石炭鉱業の健全な発展をさまたげる非能率炭鉱の買収閉鎖、3立坑方式による炭鉱の若返り工事と機械化の推進、4石炭価額を安定させるための標準炭価の設定であった。
このうち、非能率炭鉱の買収閉鎖は、同法に基づき設立された石炭鉱業整備事業団により実施された。
金龍山炭礦はこのような石炭不況の影響を受けて昭和31年に止むなく休山となり、その後、非能率炭鉱として買収・閉山された。
晩年の様子を知る当時小学生だった地元の方によれば、金龍山炭礦では地元の雇用もあり、一緒に御明神小学校に通っていたが、言葉遣いや着るものなど、生活レベルが違うという印象を抱いていたそうだ。
清水社長はたまにしか来ないが、かなり大きな外車と運転手がいて、その印象が強く、当時雫石町には、このほかに田口医院の1台と、計2台しか外車はなかったという。
また、上野沢には当時橋が架かっていたそうだ。左岸には長屋があり、左岸の坑口で採掘された鉱石の運搬とともに、人の行き来もこの橋が使われたそうだ。
昭和27年発行の旧版地形図には採礦地の記号の対岸(右岸)に建物の印のようなものが確認できる。
周辺の地形条件や、採掘から選炭、出荷に至る工程、さらに当時を知る地元の方の証言などを総合すると、ここが各坑口から採掘された石炭を一旦集積させる場所で、事務所もここにあったのではないかと推測され、現在も開けた土地になっている。
また、貯炭場は、現在、谷地モータースのある場所の向いにあったそうで、そこから雫石駅までラックで運搬していたのを覚えているという。
その方の記憶によれば、貯炭場までは木樋が引かれていたほか、馬による運搬も行われ、さらに、木樋の辺りでは地元の御婦人たちが作業をしていたようだとのこと。
木樋とは、晩年行われた樋流水選の施設のことであり、馬による運搬は、樋流水選が水利の便から良好ではなかったため、切込状態のまま送炭している状況を指していると推測される。
炭鉱跡は、平成22年に独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が発注する「金龍山炭鉱袖山坑坑口等閉そく工事」により袖山坑閉そく及び坑口付近の陥没箇所の埋戻しが行われた。
この工事の目的は、袖山坑及び坑口付近の陥没は道路に近く、また薪山として開放されており不特定多数の人が出入りする恐れがあることから、危害・鉱害を防止するため閉そく工事等を実施するとしており、工事の概要は、袖山坑は、坑口から坑内水が流出しており閉そく工事後に板柵工による排水路を設け沢へ導水し、陥没孔は、土砂が坑道内へ流入することは無いと考えられることから、土砂で埋戻しを行い、盛土が雨水等で流されないよう植生シート(ワラ芝)で保護するものだった。
この工事が実施された箇所については、鉱山の遺構らしいものは何も確認できなくなってしまったが、金龍山炭礦には、詳細な資料は残っていないものの坑口が複数あったことが知られており、周辺には練石積みコンクリートによる構築物の残骸や、それらを伴った坑口跡と思われる窪地も確認できる。
金龍山炭礦の歴史は、本格的に操業開始した昭和18年から同31年の休山までと短く、久慈や岩泉に比べれば炭鉱としての知名度も低いように思え、鉱山としての規模も決して大きくはなかったけれど、当時、鉱山関係者の子どもと一緒に御明神小学校に通ったという地元民の思い出や、上和野馬頭観世音堂に奉納された鰐口など、僅かな遺構とともに地域の歴史の一項目としてここに記しておきたい。
ウエブマスター (木曜日, 22 7月 2021 15:34)
昔の列車旅は、移動中も面白味がありました。駅にも「名所案内」の看板があり、駅名表示の下にも「●●郡●●村」とか書いてあるのが好きでした。
白州丸 (土曜日, 17 7月 2021 15:24)
宮城〜岩手〜秋田〜青森と東北縦横断の旅堪能しました。沿線の温泉に入りたい!
画像加工いいですね!!
ウエブマスター (金曜日, 16 7月 2021 23:49)
私が描いたと言いたいところですが、撮った写真を加工したんですよー
でも、文字は女流書家 泉に依頼したものです!
白州丸 (水曜日, 14 7月 2021 16:46)
産業と共に生きた雫駅の歴史が分かります。駅舎のスケッチも良いですが因みに誰のタッチ?
ウエブマスター (土曜日, 13 3月 2021 11:08)
徳永さん、了解しました!
ウエブマスターまでメールいただければ地図を返信いたします!
徳永光保 (金曜日, 12 3月 2021 07:33)
前山の記事 拝見しました。
西和賀方面にこの時期にいけるところを探していたので興味があります。だいたい見当はつくのですが
もしよろしかったらルートの地図をいただけないでしょうか。よろしくお願いします。
ウエブマスター (日曜日, 28 2月 2021 17:38)
chanmikiさん
いらっしゃいませ!
コメントありがとうございます。
日付は更新日でモナドノックは20日にツアーしました。
慣れていないと迷うと思うので、メールいただければ私の地図を送りますよ!
ウエブマスター (日曜日, 28 2月 2021 17:28)
白州丸さん
長いことコメントに気付かずスミマセン
東京は大変ですよね。
ワカサギを食べさせてあげれないのが残念です。
大願成就の次の回、長女と岩洞湖に行きましたが、またしても大漁でした!
岩手は恵まれてますよ!
chanmiki (火曜日, 23 2月 2021 21:07)
初めてコメントします。同じ小学校区、同じピアノ教室だったTです。
数年前からこのブログを見つけて、感動!尊敬!たくさん学ばせて頂いています。
本日23日も、「岩神山から田代牧場へ」を真似っこしようと行ったのですが、雪が少なそうで止め、区界駅2番ホームからの牧野へ行こうかとホームまで行きました。迷って結局、桐の木沢山へ行ったのですが、「モナドノック」を見てびっくり!
でも本日23日じゃないですよね?天気から。
私も単身赴任で106号を使っていたので、北上高地の、しかも地形のプロの記事、とても興味深く読んでいます。もちろん地元雫石のもです!
白州丸 (土曜日, 09 1月 2021 21:04)
コロナ禍で気づく事も多く、人と接せず作業をする一次産業やステイホームで地元を考える機会も多苦なりそれが新しい日常と気づくかもしれません。地元愛と働く人に感謝¡¡
白州丸 (月曜日, 28 12月 2020 11:11)
コロナ禍で始まったこの1年、地表ををすっかり覆ってしまう新雪はしばし巷のゴタゴタも忘れさせてくれます。
白州丸 (木曜日, 10 10月 2019 16:45)
馬愛の結晶でしょうね!優しい表情が印象的です。
ウエブマスター (火曜日, 30 4月 2019 11:10)
徳永様
お久しぶりです!
コメント有難うございます!
丸森良かったですねー
雪もたっぷりで何よりでした。
そろそろクマさんがウロウロしているようです。先日大松倉で足跡を見ました。お互いに気を付けましょう!
いつか、ウロコでご一緒したいです!
徳永光保 (日曜日, 21 4月 2019 20:05)
以前 森林鉄道のツアーでお世話になりました徳永です。本日こちらで紹介されている丸森にうろこテレマークで行ってきました。雪もたっぷり残っていてブナの原生林の雰囲気もよく大変気に入りました。情報参考にさせていただきました。ありがとうございました。
ウエブマスター (日曜日, 22 4月 2018 19:07)
家の前の桜はまだですが、盛岡はすでに満開。テレマークはこれからが良い季節ですよ!
白州丸 (日曜日, 15 4月 2018 15:59)
今シーズンのテレマークもそろそろ終わり?桜も咲き始めましたあ?
ウエブマスター (土曜日, 07 5月 2016 12:18)
白州丸さま
宮古では恒例のuno大会も盛り上がりました!
旧道歩きは発見があって楽しいですね!
白州丸 (木曜日, 05 5月 2016 16:03)
1泊2日の宮古の充実した旅でしたね。女性3名を従え賑やかで大きな天候の崩れも無く良かったです。
白州丸 (日曜日, 06 3月 2016 10:50)
親子の協力、ほのぼのとして少ない成果でも美味しさがギュット詰まっている事でしょう。
ウエブマスター (日曜日, 10 1月 2016 11:41)
白州丸さま
ジムニーで薪運搬!
こういうのって、田舎暮らしならではの楽しさですね!
白州丸 (土曜日, 09 1月 2016 14:13)
有り難いプレゼント、ジムニー大活躍ですね!!
白州丸 (土曜日, 26 9月 2015 17:10)
手を加えた分だけ建物は答えてくれます、又達成感は喜びになるでしょう。
白州丸 (土曜日, 26 9月 2015)
父と娘の縦走、紅葉が綺麗ですね、山ガールも頑張りましたね!!
白州丸 (土曜日, 15 8月 2015 15:52)
見事に蘇りました、15年の歴史がしみ込んだテーブル作業中はいろんな思いも浮かんだ事でしょう。我が家は削って(多分電動鉋?)もらいましたが手作業はご苦労様でした。又新しい家族の歴史(汚れ?)が刻まれる事でしょう。帰ってきた家族もさぞびっくり!!
白州丸 (火曜日, 30 6月 2015 10:19)
テーブル完成おめでとうございます。ここ迄秋田杉を利用できれば樹も喜んでいる事でしょう。無垢板は存在感ありますね!!このテーブルからどんな作品が出来るか楽しみですね
ウエブマスター (日曜日, 17 5月 2015 12:24)
リタイヤじっちゃん様
丸森制覇、おめでとうございます!私はタイミングを逃し、今年は行けず残念でしたが、動画を拝見させていただき、行った気になれました!それにしてもクマにはビックリ!!
リタイヤじっちゃん (火曜日, 12 5月 2015 09:27)
ウエブマスターの丸森ツアー(2013.5.12)でアクセスルートを知ったのは昨年の夏ごろ、それから5月の連休が待ち遠しく長いものでした。途中熊さんの歓迎を受けましたが、楽しく登ることができました。情報ありがとうございました。来冬は須賀倉を頂戴します。(山行記録YouTube”丸森”)
ウエブマスター (水曜日, 29 4月 2015 07:49)
史実探偵さま、コメント有難うございます。なるほど!奥が深そうですねー。
史実探偵:平素人 (日曜日, 26 4月 2015 00:02)
はじめまして^^、ウエブ釜石鉱山で検索訪問しました。ホームのお写真を見て、これが私の広報する、『BC.2001年に地球を半周し東北へ降臨した巨大隕石の核!』 かと思うと胸のたかまりを覚えます。よろしかったら、myブログのカテゴリー;巨大隕石(5) &, 巨大津波(4)へ、どうぞ^^!
小岩 (日曜日, 05 10月 2014 14:24)
シロハヤブサの続編に期待・・豊かな発想に拍手を送ります。
小岩じいじ (日曜日, 05 10月 2014 14:16)
岩手の旅行記は風景写真の見事さと臨場感あふれる文章にいつも感心しています。次号を楽しみにしています。
小岩 (日曜日, 05 10月 2014 14:06)
泉ちゃん堂々の3位入賞おめでとう。又1つ話題ができましたね。来年は優勝目指して下さい。
リタイヤじっちゃん (日曜日, 05 10月 2014 10:09)
体力的に門馬コースは無理ですが、教えていただいた丸森には挑戦させて頂きます。尚、剣ヶ峰山行記録はyouTubeで公開してますがどなたとも知らず貴方の車ときのこ採りの3人には無料出演して頂いでおりますのであしからず。但し誰も見ませんが。(笑)
ウェブマスター (日曜日, 05 10月 2014 00:06)
いやはや!
ニアミスしていたわけですね、リタイヤじっちゃん様!やはり早池峰剣ヶ峰、いい山ですよねー!
今度は、門馬コースにも久々にチャレンジしたいと思っています!
リタイヤじっちゃん (水曜日, 01 10月 2014 18:16)
久しぶりに覗いて見てびっくりしました。9月15日早池峰剣ヶ峰で好青年と交差したことを覚えております。あの時の白髪親父がじっちゃんです。初めて登りましたがいい山でした。
ウェブマスター (土曜日, 07 6月 2014 22:03)
ritzさん、コメント有難うございます!
阿部館山良かったですよ!来年も絶対行きます!その時お会いするかもしれませんね!今後ともこの隠れ家的HPをよろしくお願い致します!
ritz (火曜日, 03 6月 2014 00:16)
はじめまして。
4/13阿部館山の記事拝見しました。素晴らしいところですね。
4月頭に櫃取湿原や青松葉山界隈を歩き(滑り)、斜面や森の雰囲気に感動しました。北上高地は初めて訪れましたが、また行ってみたいと思っています。
これからも岩手の山滑りの記録、楽しみにしています。