和賀郡沢内村(現西和賀町沢内)には雫石貯木場を起点とする森林鉄道鶯宿線の「沢内延長線」とそこから分岐する「大杉(しぎ)沢線」、さらに他の路線と隔絶された離れ小島的路線の「湯ノ沢線」が存在していたことが営林署の土木台帳で明らかになっている。
それによれば沢内延長線が全線廃止されたのは昭和24年度で、大杉沢線が全線廃止されたのは昭和23年度、湯ノ沢線が全線廃止されたのは今から57年前の昭和36年度となっている。
沢内村の森林鉄道に関する情報として残っているのはこのぐらいで、旧版の地形図には路線も示されている。
大杉沢線は若畑で沢内延長線から分岐し、和賀川の支流の横川を渡り、大杉沢に沿って敷設された延長1.97kmの路線だ。
大杉沢は勾配が緩く、谷幅も広い沢で、軌道跡はそのまま国有林の林道になっている。
4回ほど沢を渡るけれど、どれも浅く、幅も狭いので、橋台や橋脚といった遺構は見当たらない。
しかし、起点から1.1kmほどの入った軌道脇に神社跡を確認することができた。
集落から離れた山中に、朽ち果てそうな鳥居だけがポツンと建っている光景に違和感を感じるかもしれないが、おそらくかつては祠もあり、森林鉄道があった当時、山仕事の安全を願って毎日ここでお祈りしてから山に入ったのだろう。
林業というのは今でもそうだが労働災害の危険性が高い仕事で、林業従事者は安全に願いを込めて山に神を祀った。
毎月12日は「山の神」と呼び、特に12月12日は山の神様が山の木を数える特別な山の神なので、その日は山に入って仕事をしてはいけないとして、今でも東北地方の林業界では常識となっている。
だから、かつて営林署では、このような神社に奉納を欠かさなかったし、地域の人たちも御参りしたに違いない。
ひと気のない山中で埋もれかけた鳥居を眺めていると、林業が華やかだった時代が、山村に最も人口と活気があった時代だったんだと、栄枯盛衰を物語っているように思えてくる。
沢内村の森林鉄道については地形的に緩やかな場所を通っていたため、擁壁や橋梁などにコンクリート構造物を必要としなかったこと、台帳上も軌道の位置づけで低規格な路線であったことなどから、これ以上調査しても遺構の確認はできそうにないので、地元で聞き取り調査をすることにした。
沢内村の森林鉄道を記憶している人となれば現在80才以上の方となるのでかなり状況は厳しいが、個人的なツテを頼りに50代、79才、89才、90才の計4名から間接的なものも含め聞き取り調査を行うことができた。
そこからはこれまで全く分からなかった沢内延長線の様子が浮かび上がってきた。
土木台帳によれば沢内延長線の終点は小杉(しぎ)沢落合となっている。
近代化遺産国有林森林鉄道全データ東北編に掲載された地図では県道1号線から新山に向かうT字路の脇で線が途絶えており、つまりそこが小杉沢落合を意味することになる。
ちなみに、小杉沢と横川の合流点を地元ではオッチャ(落合)と呼ぶ。
しかし、実際の線路は横川沿いを通っていて、現在アンテナ施設がある付近の盛土がその名残だそうで線路跡の貴重な痕跡ということになる。
線路と民家の間に広がる農地部分は、かつて貯木場として利用され、廃止後もしばらくは木材が残されていたそうだ。
驚いたことに線路は小杉沢落合からさらに先へと延び、現在アンテナ施設がある付近の盛土を直線的に進み、その延長線上で横川を斜めに渡り、小杉沢を5~6km遡上していたとのことで、この路線は台帳に全く記載がないので、便宜上「小杉沢線」と呼ぶ。
言われてみれば小杉沢落合の貯木場を終点とするのはいささか不自然で、流域面積の広い小杉沢からも材を集めてきた方が合理的だ。
横川を斜めに渡ったとされる個所には、現在、川中にコンクリートの橋脚の残骸があるが、これは森林鉄道廃止後に営林署が作ったコンクリート橋の残骸で、森林鉄道時代は木橋で渡っていた。
小杉沢には出戸(入口)と奥の2ヶ所に営林署の事務所があった。
小杉沢線にガソリン機関車が使用されるようになったのは大杉沢線より後で、最初は牛がトロッコを引いていた。ちなみに大杉沢線では牛は使われなかったそうだ。
小杉沢は奥行きが深く、大杉沢のさらに奥まで回り込むような沢で、しかも勾配が緩い。
横川を渡る軌道の木橋には厚い板が渡されていて、牛も人も渡った。
この橋以外には、オサゴ橋しかなかった。
オサゴ橋は橋脚も手すりもない、梯子を横にしたような橋で渡ると揺れ、炭俵を背負って平気で渡れる土地の人々のために作られたもので、当時村内では各地で見られ、軌道の橋の方が立派だった。
オサゴ橋は大水ですぐ流されるので、学校の先生も大雨が降ると「(オサゴ橋が流されて帰れなくなるから)早く家さ行け」と言い、勉強が嫌いな子どもたちは喜んだ。
軌道の木橋にはコンクリートの基礎などもなかったので、痕跡は全く残っていない。
大杉沢線にも小杉沢線にも営林署の森林鉄道が敷設されたわけだけれど、名前に反して、大杉沢線と小杉沢線から伐り出される木材はブナとナラなどの広葉樹ばかりで良材がたくさんあった。
鋸で伐採し、良いところ(伐採した木は目的の長さに合わせ更に鋸で伐られ、直径が太い根元側から一番玉と呼び、これが最も価値が高い。)だけトロッコで長橋(インクライン)まで運び、それ以外の先木(うらき)はその場で炭焼きした。
炭焼の人は秋田から来て、単身で来て沢内の女性と結婚する人もあれば、家族でやってくる人もいた。
窯は土窯の大きなもので、25俵/窯で月3回転させ、焼くのは基本的に1人でやった。
そんな人達もあり、大杉沢の出戸には川舟小学校若畑分校ができ、最盛期には78人の生徒で賑わった。学校跡地は今は創作館になっており、地元で盛んな蔓細工が行われている。
また、当時はミズやフキも主食で、軌道沿いにもたくさん生えた。
採れる時期は限られるけれど、雪深く、夏も冷涼な土地では貴重な保存食になるので、地元の人たちは山の奥まで入って命一杯収穫した。
帰りはトロッコに荷物を載せてもらったりしたので、それも見越して収穫したそうで、こんなところにも森林鉄道と地元住民との関りがあった。
沢内延長線には雫石営林署からガソリン機関車をトラックで運んで使用した。
雫石町内ではトロッコの連結は10両編成を基本としていたが、沢内延長線では3両ぐらいの連結だったようで、おそらくインクライン終点のトロッコ付替えスペース的にそれが限界だったものと推察される。
沢内村北部の長橋地区では長橋天然スギの輸送が最大の使命であったはずであるが、南部の大杉沢、小杉沢地区ではブナやナラなどの広葉樹を輸送した。
そして時に住民が乗ることもあり、黄疸になった小学生が両親とともにトロッコに乗り、雫石を経由して盛岡の病院まで行き治してもらったこともあった。また、鶯宿温泉までトロッコで湯治に行った人もいる。
森林鉄道が廃止されてからは、中山峠、空滝を越えて花巻温泉へ湯治に行く人が多かったようだ。
森林鉄道の本来の目的は木材運搬であるが、地元の人たちの移動手段として利用された背景には、線路の草取りや保線作業に地元住民が携わっていたことも大きく影響しているだろう。
大志田には営林署の事務所があり、草取りや保線作業の際にはそこに地域の人達を集めて行わせた。
大人にとっては当時この辺りでは唯一の金取り(労働奉仕ではなく金銭で対価を得る機会)だった。
一方で子供にとっては、線路に耳を当てて、遠くから機関車が近付いて来る音を聞いて遊ぶのが楽しかったようだ。
沢内村内の森林鉄道の痕跡は、線路の廃止とともに、強制的かどうかは分からないが土地が地主に買い戻しされ、田んぼや畑になったり、植林されたり、河川改修や堤防の嵩上げなどでことごとく壊され、ほとんど残っていないのが実情のようだ。
雫石町内では森林鉄道敷地が今でも国有地として管理されている場所が少なくなく、そのような場所では廃止から半世紀以上経過した現在でも、当時の雰囲気を感じ取ることができるが、土地が買い戻しされること自体、地形的影響が関係しているのかもしれない。
そんな沢内村内の森林鉄道の痕跡を労せず確認できる場所が1箇所ある。
それは県道1号線沿いにある貝沢地区砂防公園トイレ裏側の敷地だ。
この場所は旧版地形図で沢内延長線が通っていた場所に当り、敷地の杭に1本だけ森林鉄道のレールが使われている。
利用法はともかく、レールは貴重であるとともに場所が場所だけに、沢内延長線の痕跡としてこれまでのところ最も貴重な存在といえるだろう。
ウエブマスター (木曜日, 22 7月 2021 15:34)
昔の列車旅は、移動中も面白味がありました。駅にも「名所案内」の看板があり、駅名表示の下にも「●●郡●●村」とか書いてあるのが好きでした。
白州丸 (土曜日, 17 7月 2021 15:24)
宮城〜岩手〜秋田〜青森と東北縦横断の旅堪能しました。沿線の温泉に入りたい!
画像加工いいですね!!
ウエブマスター (金曜日, 16 7月 2021 23:49)
私が描いたと言いたいところですが、撮った写真を加工したんですよー
でも、文字は女流書家 泉に依頼したものです!
白州丸 (水曜日, 14 7月 2021 16:46)
産業と共に生きた雫駅の歴史が分かります。駅舎のスケッチも良いですが因みに誰のタッチ?
ウエブマスター (土曜日, 13 3月 2021 11:08)
徳永さん、了解しました!
ウエブマスターまでメールいただければ地図を返信いたします!
徳永光保 (金曜日, 12 3月 2021 07:33)
前山の記事 拝見しました。
西和賀方面にこの時期にいけるところを探していたので興味があります。だいたい見当はつくのですが
もしよろしかったらルートの地図をいただけないでしょうか。よろしくお願いします。
ウエブマスター (日曜日, 28 2月 2021 17:38)
chanmikiさん
いらっしゃいませ!
コメントありがとうございます。
日付は更新日でモナドノックは20日にツアーしました。
慣れていないと迷うと思うので、メールいただければ私の地図を送りますよ!
ウエブマスター (日曜日, 28 2月 2021 17:28)
白州丸さん
長いことコメントに気付かずスミマセン
東京は大変ですよね。
ワカサギを食べさせてあげれないのが残念です。
大願成就の次の回、長女と岩洞湖に行きましたが、またしても大漁でした!
岩手は恵まれてますよ!
chanmiki (火曜日, 23 2月 2021 21:07)
初めてコメントします。同じ小学校区、同じピアノ教室だったTです。
数年前からこのブログを見つけて、感動!尊敬!たくさん学ばせて頂いています。
本日23日も、「岩神山から田代牧場へ」を真似っこしようと行ったのですが、雪が少なそうで止め、区界駅2番ホームからの牧野へ行こうかとホームまで行きました。迷って結局、桐の木沢山へ行ったのですが、「モナドノック」を見てびっくり!
でも本日23日じゃないですよね?天気から。
私も単身赴任で106号を使っていたので、北上高地の、しかも地形のプロの記事、とても興味深く読んでいます。もちろん地元雫石のもです!
白州丸 (土曜日, 09 1月 2021 21:04)
コロナ禍で気づく事も多く、人と接せず作業をする一次産業やステイホームで地元を考える機会も多苦なりそれが新しい日常と気づくかもしれません。地元愛と働く人に感謝¡¡
白州丸 (月曜日, 28 12月 2020 11:11)
コロナ禍で始まったこの1年、地表ををすっかり覆ってしまう新雪はしばし巷のゴタゴタも忘れさせてくれます。
白州丸 (木曜日, 10 10月 2019 16:45)
馬愛の結晶でしょうね!優しい表情が印象的です。
ウエブマスター (火曜日, 30 4月 2019 11:10)
徳永様
お久しぶりです!
コメント有難うございます!
丸森良かったですねー
雪もたっぷりで何よりでした。
そろそろクマさんがウロウロしているようです。先日大松倉で足跡を見ました。お互いに気を付けましょう!
いつか、ウロコでご一緒したいです!
徳永光保 (日曜日, 21 4月 2019 20:05)
以前 森林鉄道のツアーでお世話になりました徳永です。本日こちらで紹介されている丸森にうろこテレマークで行ってきました。雪もたっぷり残っていてブナの原生林の雰囲気もよく大変気に入りました。情報参考にさせていただきました。ありがとうございました。
ウエブマスター (日曜日, 22 4月 2018 19:07)
家の前の桜はまだですが、盛岡はすでに満開。テレマークはこれからが良い季節ですよ!
白州丸 (日曜日, 15 4月 2018 15:59)
今シーズンのテレマークもそろそろ終わり?桜も咲き始めましたあ?
ウエブマスター (土曜日, 07 5月 2016 12:18)
白州丸さま
宮古では恒例のuno大会も盛り上がりました!
旧道歩きは発見があって楽しいですね!
白州丸 (木曜日, 05 5月 2016 16:03)
1泊2日の宮古の充実した旅でしたね。女性3名を従え賑やかで大きな天候の崩れも無く良かったです。
白州丸 (日曜日, 06 3月 2016 10:50)
親子の協力、ほのぼのとして少ない成果でも美味しさがギュット詰まっている事でしょう。
ウエブマスター (日曜日, 10 1月 2016 11:41)
白州丸さま
ジムニーで薪運搬!
こういうのって、田舎暮らしならではの楽しさですね!
白州丸 (土曜日, 09 1月 2016 14:13)
有り難いプレゼント、ジムニー大活躍ですね!!
白州丸 (土曜日, 26 9月 2015 17:10)
手を加えた分だけ建物は答えてくれます、又達成感は喜びになるでしょう。
白州丸 (土曜日, 26 9月 2015)
父と娘の縦走、紅葉が綺麗ですね、山ガールも頑張りましたね!!
白州丸 (土曜日, 15 8月 2015 15:52)
見事に蘇りました、15年の歴史がしみ込んだテーブル作業中はいろんな思いも浮かんだ事でしょう。我が家は削って(多分電動鉋?)もらいましたが手作業はご苦労様でした。又新しい家族の歴史(汚れ?)が刻まれる事でしょう。帰ってきた家族もさぞびっくり!!
白州丸 (火曜日, 30 6月 2015 10:19)
テーブル完成おめでとうございます。ここ迄秋田杉を利用できれば樹も喜んでいる事でしょう。無垢板は存在感ありますね!!このテーブルからどんな作品が出来るか楽しみですね
ウエブマスター (日曜日, 17 5月 2015 12:24)
リタイヤじっちゃん様
丸森制覇、おめでとうございます!私はタイミングを逃し、今年は行けず残念でしたが、動画を拝見させていただき、行った気になれました!それにしてもクマにはビックリ!!
リタイヤじっちゃん (火曜日, 12 5月 2015 09:27)
ウエブマスターの丸森ツアー(2013.5.12)でアクセスルートを知ったのは昨年の夏ごろ、それから5月の連休が待ち遠しく長いものでした。途中熊さんの歓迎を受けましたが、楽しく登ることができました。情報ありがとうございました。来冬は須賀倉を頂戴します。(山行記録YouTube”丸森”)
ウエブマスター (水曜日, 29 4月 2015 07:49)
史実探偵さま、コメント有難うございます。なるほど!奥が深そうですねー。
史実探偵:平素人 (日曜日, 26 4月 2015 00:02)
はじめまして^^、ウエブ釜石鉱山で検索訪問しました。ホームのお写真を見て、これが私の広報する、『BC.2001年に地球を半周し東北へ降臨した巨大隕石の核!』 かと思うと胸のたかまりを覚えます。よろしかったら、myブログのカテゴリー;巨大隕石(5) &, 巨大津波(4)へ、どうぞ^^!
小岩 (日曜日, 05 10月 2014 14:24)
シロハヤブサの続編に期待・・豊かな発想に拍手を送ります。
小岩じいじ (日曜日, 05 10月 2014 14:16)
岩手の旅行記は風景写真の見事さと臨場感あふれる文章にいつも感心しています。次号を楽しみにしています。
小岩 (日曜日, 05 10月 2014 14:06)
泉ちゃん堂々の3位入賞おめでとう。又1つ話題ができましたね。来年は優勝目指して下さい。
リタイヤじっちゃん (日曜日, 05 10月 2014 10:09)
体力的に門馬コースは無理ですが、教えていただいた丸森には挑戦させて頂きます。尚、剣ヶ峰山行記録はyouTubeで公開してますがどなたとも知らず貴方の車ときのこ採りの3人には無料出演して頂いでおりますのであしからず。但し誰も見ませんが。(笑)
ウェブマスター (日曜日, 05 10月 2014 00:06)
いやはや!
ニアミスしていたわけですね、リタイヤじっちゃん様!やはり早池峰剣ヶ峰、いい山ですよねー!
今度は、門馬コースにも久々にチャレンジしたいと思っています!
リタイヤじっちゃん (水曜日, 01 10月 2014 18:16)
久しぶりに覗いて見てびっくりしました。9月15日早池峰剣ヶ峰で好青年と交差したことを覚えております。あの時の白髪親父がじっちゃんです。初めて登りましたがいい山でした。
ウェブマスター (土曜日, 07 6月 2014 22:03)
ritzさん、コメント有難うございます!
阿部館山良かったですよ!来年も絶対行きます!その時お会いするかもしれませんね!今後ともこの隠れ家的HPをよろしくお願い致します!
ritz (火曜日, 03 6月 2014 00:16)
はじめまして。
4/13阿部館山の記事拝見しました。素晴らしいところですね。
4月頭に櫃取湿原や青松葉山界隈を歩き(滑り)、斜面や森の雰囲気に感動しました。北上高地は初めて訪れましたが、また行ってみたいと思っています。
これからも岩手の山滑りの記録、楽しみにしています。